友人のM君が私の誕生日にGT-Rのボディーを
プレゼントしてくれました。
アルファ ブレラのボディーも数々のクラッシュで
傷だらけで満身創痍になってしまいましたので
乗せかえる事にしました。
そのついでにベアリングも組みました。
ホイルベースが長くなったせいか
直進安定性がとても良くなりました。
最高速も伸びたみたいです。
これで今まで以上に暴れられます。

プレゼントしてくれました。
アルファ ブレラのボディーも数々のクラッシュで
傷だらけで満身創痍になってしまいましたので
乗せかえる事にしました。
そのついでにベアリングも組みました。
ホイルベースが長くなったせいか
直進安定性がとても良くなりました。
最高速も伸びたみたいです。
これで今まで以上に暴れられます。

気になるモノ、事
夏休みが終わり
今日からほとんどの会社が仕事開始だと思います。
皆さんはとこかにお出かけしたでしょうか?
北海道に出かけた従業員から面白いお土産をもらいました。
早速お昼にみんなで試食会をする事になりました。
お土産の内容は
1.熊の肉の缶詰(みそ味)
2.えぞ鹿の肉の缶詰(みそ味)
3.トドの肉の缶詰(大和煮)
内容からして関東ではありえない缶詰です。
試食した結果熊、鹿はおいしかったのですが
トドは食べた後少しくさみが残ります。
3缶とも食感は鶏肉を少し硬くしたような感じでした。
(コンビーフを硬くしたような)
以前にたぬきの肉を醤油煮にして食べたことがあるのですが
食べようと口元まで持ってくると
においが強烈でとても食べられる感じではなかったです。
そのときにみそ煮にしてにおいを消したほうが
いいと話しを聞いた事を思い出しました。
そのせいで熊と鹿はみそ味になったのでしょうか?

今日からほとんどの会社が仕事開始だと思います。
皆さんはとこかにお出かけしたでしょうか?
北海道に出かけた従業員から面白いお土産をもらいました。
早速お昼にみんなで試食会をする事になりました。
お土産の内容は
1.熊の肉の缶詰(みそ味)
2.えぞ鹿の肉の缶詰(みそ味)
3.トドの肉の缶詰(大和煮)
内容からして関東ではありえない缶詰です。
試食した結果熊、鹿はおいしかったのですが
トドは食べた後少しくさみが残ります。
3缶とも食感は鶏肉を少し硬くしたような感じでした。
(コンビーフを硬くしたような)
以前にたぬきの肉を醤油煮にして食べたことがあるのですが
食べようと口元まで持ってくると
においが強烈でとても食べられる感じではなかったです。
そのときにみそ煮にしてにおいを消したほうが
いいと話しを聞いた事を思い出しました。
そのせいで熊と鹿はみそ味になったのでしょうか?

気になるモノ、事
春先に子供をつれて夢の島公園に行ってきました。
葛西臨海公園とお台場の間に挟まれているせいか
あまり人がいなくてゆっくり遊べるのがいいですね。
子供は熱帯植物館の中でジャングル遊びを堪能していました。
園内を探索中「第五福竜丸展示館」とあり
気軽な気持ちで見学することにしました。
(その後気軽な気持ちで見学したことを反省いたしました)
この事件のことは第五福竜丸が太平洋・マーシャル諸島の
ビキニ環礁で操業中原爆実験により被爆した
と学生時代に少しだけ聞いた事があるぐらいでした。
中には1隻の木造船(第五福竜丸)が展示してあり
この船でマーシャル諸島までよく行ったもんだとびっくりしました。
(私は怖くて行けません)
たくさんの乗組員の方が乗ってさぞや過酷だったのでしょうね。
福竜丸の周りには「死の灰」や当時の資料や写真がたくさんあり
それらを見てるだけで目頭が熱くなり涙が出そうになりました。
第五福竜丸の乗組員の中には戦争経験者もいた為
証拠隠滅の心配から避難信号を出さずに
全速で焼津港まで帰ってきたそうです。
その後第五福竜丸は国に買い取られ
東京水産大学の練習船になり大役を果たした後
エンジンを別の船に譲り渡し夢の島に捨てられ
エンジンを譲られた船も翌年熊野灘で海中に沈んだそうです。
本当に数奇な運命ですね。
夢の島に捨てられた福竜丸を見つけた
武藤宏一さんが新聞に「沈めてよいか、第五福竜丸」と題し
投稿したのがきっかけで
たくさんの方々の協力者により現在に至ります。
一時は離れ離れになったエンジンも
熊野灘の海中から引き上げられ
現在は一緒に展示されています。
被爆、原爆と言うと広島、長崎を思い浮かべますが
第五福竜丸の事も忘れてはいけないと思います。
乗組員の久保山愛吉さんも
「原爆被害者は私が最後にしてほしい」と言う
言葉を残し亡くなられたそうです。
私たちも平和の大切さ、ありがたさをかみしめ
次の世代に伝えていかなくてはなりません。
それが私たちの使命だと思います。
ぜひ皆様も見に行っていただきたいと思います。








葛西臨海公園とお台場の間に挟まれているせいか
あまり人がいなくてゆっくり遊べるのがいいですね。
子供は熱帯植物館の中でジャングル遊びを堪能していました。
園内を探索中「第五福竜丸展示館」とあり
気軽な気持ちで見学することにしました。
(その後気軽な気持ちで見学したことを反省いたしました)
この事件のことは第五福竜丸が太平洋・マーシャル諸島の
ビキニ環礁で操業中原爆実験により被爆した
と学生時代に少しだけ聞いた事があるぐらいでした。
中には1隻の木造船(第五福竜丸)が展示してあり
この船でマーシャル諸島までよく行ったもんだとびっくりしました。
(私は怖くて行けません)
たくさんの乗組員の方が乗ってさぞや過酷だったのでしょうね。
福竜丸の周りには「死の灰」や当時の資料や写真がたくさんあり
それらを見てるだけで目頭が熱くなり涙が出そうになりました。
第五福竜丸の乗組員の中には戦争経験者もいた為
証拠隠滅の心配から避難信号を出さずに
全速で焼津港まで帰ってきたそうです。
その後第五福竜丸は国に買い取られ
東京水産大学の練習船になり大役を果たした後
エンジンを別の船に譲り渡し夢の島に捨てられ
エンジンを譲られた船も翌年熊野灘で海中に沈んだそうです。
本当に数奇な運命ですね。
夢の島に捨てられた福竜丸を見つけた
武藤宏一さんが新聞に「沈めてよいか、第五福竜丸」と題し
投稿したのがきっかけで
たくさんの方々の協力者により現在に至ります。
一時は離れ離れになったエンジンも
熊野灘の海中から引き上げられ
現在は一緒に展示されています。
被爆、原爆と言うと広島、長崎を思い浮かべますが
第五福竜丸の事も忘れてはいけないと思います。
乗組員の久保山愛吉さんも
「原爆被害者は私が最後にしてほしい」と言う
言葉を残し亡くなられたそうです。
私たちも平和の大切さ、ありがたさをかみしめ
次の世代に伝えていかなくてはなりません。
それが私たちの使命だと思います。
ぜひ皆様も見に行っていただきたいと思います。







